2012年の大河ドラマは「平清盛」。
平治の乱で勝利をおさめた平氏一族は、高い位につき朝廷で大きな力を持つようになりますが、清盛の栄華も長く続かず源平合戦により終焉を迎えます。
一般的には以仁王(もちひとおう)と源頼政(みなもとのよりまさ)による平氏討伐の挙兵から、壇ノ浦の合戦までが「源平合戦」と言われていますが、平家一党が須磨から淡路を経て、阿波・讃岐へのがれる道筋の中で、平氏・源氏ゆかりのスポットやストーリーが島内にも点在しています。
淡路島へお越しの際に立ち寄って頂き、貴族から武士へと時代の主役が変遷していった平安末期の激動の世に想いを馳せてみてはいかがでしょうか?
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絵島 (淡路市岩屋)
淡路島の北の玄関口、岩屋には「絵島」があります。
地質学的に珍しい約2千万年前の砂岩層が露出した絵島は岩肌の侵食模様が特徴的で、古来より和歌を詠む名所として名高い。平家物語の「月見」の巻に「平家が福原の新都に移った当時(1180年)栄華の夢に耽った人々は絵島の月を見ようとして須磨から明石海峡を渡り、絵島の月を愛でながら歌会を催した」との記述が残されています。また西行法師は「千鳥なく 絵島の浦に すむ月を 波にうつして 見るこよいかな」(山家集)という歌を詠みました。昔から絵島は、その美しさで多くの人々を魅了し、一度は行って見てみたいと思わせていたようです。
絵島は平清盛公とゆかりのある島で、清盛の小姓であった松王丸(まつおうまる)の供養塔が建っています。清盛が当時の中国(宋)と貿易をするため、現在の神戸港、当時は大輪田の泊と呼ばれていた港の改修工事を始めますが難工事のため上手くいきません。陰陽師の占いにより龍神の怒りを鎮めるため、松王丸は自ら進んで人柱になりました。平清盛は大輪田の泊を築造する際、絵島の美しさについて松王丸とよく語り合ったそうです。可愛がっていた松王丸を偲び、清盛が絵島に供養塔を建てたと言われています。
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煙島 (南あわじ市福良湾内)
淡路島の源平ゆかりの地で一番有名なのが、南あわじ市福良湾に浮かぶ煙島です。
言い伝えでは、平敦盛の首を荼毘(だび)に付した際に煙が立ち上ったことから、煙島と呼ばれるようになったとされています。1184(寿永3)年2月、一ノ谷の合戦で、平家の若武者を組み敷いた熊谷直実(くまがいなおざね)は、わが子と同じ年ごろの青年に哀れを感じながらも、その首を打ち落とした。若武者が平清盛の弟経盛(つねもり)の末子敦盛(あつもり)であるのを知った直実は、屋島へ向かう途中、福良湾に仮泊している経盛の所へ、首と敦盛が腰にさしていた横笛を届けさせた。経盛は悲しみのうちに、煙島で息子の首を荼毘に付し煙が立ち上がったことから、島の名がついたといわれています。
現在煙島には、厳島神社がまつられており、頂上の境内には敦盛の首塚だという石の祠があるほか、最勝王経の一字一字を刻んだ石を埋めたという最勝王経碑があります。更に社殿の横には、安徳天皇が7日間滞在したと伝わる行在所(あんざいしょ)跡があります(島に入ることは出来ません)。
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静御前の墓(静の里公園) (淡路市志筑)
静の里公園は、源義経との悲恋で名をとどめる静御前隠棲の地と言われ、奥州平泉・衣川の合戦で討ち死にした源義経の菩提を尼となって生涯弔った悲しくも強く生きた静御前の徳を偲んで、その霊廟を中心に整備された公園です。史料館では静御前や郷土の歴史・文化を紹介、シンボルは相輪の宝塔で、高さ約15mあります。静は鎌倉で義経との子を殺されたが、命を助けられ、頼朝の妹の夫、一条能保に預けられたといいます。
一条家の荘園が淡路島の志筑にあったためここに隠れ住み、1211(建暦元)年の冬に47歳で没したため、供養として宝篋印塔が建てられたと伝えられています。
舞の名手でもあった静御前の墓に詣でれば技芸に熟達するとされ、また美貌の児を授かるとも言われています。
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みちもり(通盛)さん (淡路市楠本)
絵島から少し南下した、四季折々の花が美しい「あわじ花さじき」には、平家の供養塔が建っています。寿永3年(1184)一の谷の合戦で敗れた平家は淡路島へ上陸して逃れる途中、源氏の追討軍に追われ激しい戦いが行なわれました。逃げ延びて「あわじ花さじき」周辺に隠れ住んだ平家の武士は大将であった平通盛(たいらのみちもり)や一門を供養するために石碑を建てたと伝えられています。
現在でもこの石碑は「みちもりさん」と呼ばれ、地元の人たちによってお供えやおまつりが行なわれています。また、付近には今でも平(たいら)さんという家があり、ほかにも平家に関係のある地名や伝説も沢山残っています。
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小宰相局供養碑[お局塚] (南あわじ市伊加利)
平道盛といえば宮中随一の美女といわれた妻「小宰相の局」の話しも有名です。南あわじ市伊加利には、一ノ谷の合戦で亡くなった平通盛の女房、小宰相局(こざいしょうのつぼね)が祀られる「お局塚」が残されています。通盛を追って屋島へ向かう船中から厳寒の鳴門海峡に入水した小宰相局の亡骸が丸山の浜に打ち上げられ、従者が近くの多摩山に葬ったのが、このお局塚です。
毎年四月十八日には、お局塚供養祭が行なわれ、今も地元の人々に大切にされています。
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梶原五輪塔 (南あわじ市沼島)
南あわじ市沼島にある梶原五輪塔は、平氏から後に源氏の将になった梶原景時(かじわらのかげとき)の墓とされ、松香石(しょうこうせき/こすると松の臭いのする特殊な石で、主に上流階級人のみが使ったとされる)という特殊な石で造られており、鎌倉時代初期の造立とされています。
永禄から天正初期にかけて沼島島主として沼島水軍を支配していた梶原一族の祖、梶原景時は、源平の石橋山の合戦で平家方として源頼朝の軍を破ったが、洞窟に潜んでいた頼朝を故意に見逃し、後に源氏が復活した際に頼朝方につき、頼朝が没するまで側近として勢力を振るった人物として知られています。
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